本講義では、半導体工学において不可欠な統計力学の概念と、その半導体材料やデバイスへの応用について説明いたします。統計力学は、多数の粒子からなる系の巨視的な物性(例えば、電流、熱伝導率、比熱、光学特性など)を、個々の粒子のミクロな振る舞いから導き出すための強力な理論的枠組みを提供します。半導体デバイスの動作原理を深く理解するためには、電子やホールのキャリア統計、格子振動の量子であるフォノン、そして光の量子であるフォトンの統計的な振る舞いを正確に記述することが不可欠です。
私たちの目的は、ある物性値を測定した際に、その測定値に対応する物理量の統計平均値を知ることにあります。そのために、ある状態を定義する変数の組 \(x_i\) を考え、その状態を取る確率 \(f(x_i)\) を求めることが統計力学の中心課題となります。この \(f(x_i)\) が統計分布関数であり、これが求まれば、物理量 \(P\) の平均値 \(\langle P \rangle\) は、状態 \(x_i\) における物理量 \(P\) の値 \(P(x_i)\) とその確率 \(f(x_i)\) を掛け合わせ、全ての状態について和を取ることで計算できます。
この統計分布関数 \(f(x_i)\) をいかに求めるかが鍵となります。古典統計力学では等重率の原理とエルゴード仮説を用いて導出されましたが、量子統計力学においては各固有状態が同じ確率で出現するという等重率の原理に基づいて、より簡潔に導出することができます。
前回の講義では、量子力学に従う粒子を、そのスピン量子数によって分類し、それぞれの統計分布関数について解説いたしました。
スピン量子数が半整数(例: 1/2, 3/2, ...)の粒子はフェルミ粒子と呼ばれ、パウリの排他律に従います。すなわち、一つの量子状態には最大で一つのフェルミ粒子しか入れません。電子はこのフェルミ粒子の一種であり、半導体中のキャリア(電子、ホール)の分布を記述する上で非常に重要です。
フェルミ・ディラック分布関数 \(f_{FD}(E)\) は以下の式で表されます。
ここで、\(E\) は粒子のエネルギー、\(\mu\) は化学ポテンシャル(半導体ではフェルミ準位と対応します)、\(k\) はボルツマン定数、\(T\) は絶対温度です。
特徴: * \(E = \mu\) の場合: \(f_{FD}(\mu) = 1/(e^0 + 1) = 1/2\) となります。これは、フェルミ準位にある状態の占有確率がちょうど1/2であることを意味します。 * \(E \ll \mu\) の場合: \(e^{(E-\mu)/kT}\) は非常に小さくなり、分布関数は \(1\) に漸近します。つまり、フェルミ準位よりも十分に低いエネルギーの状態は、ほぼ完全に電子で占められています。 * \(E \gg \mu\) の場合: \(e^{(E-\mu)/kT}\) は非常に大きくなり、分布関数は \(0\) に漸近します。つまり、フェルミ準位よりも十分に高いエネルギーの状態は、ほとんど電子で占められていません。 * 分布の幅: フェルミ準位付近の分布の「なまり」の幅は、およそ \(kT\) に対応します。温度が高くなると分布はより広範囲に広がります。 * 高温・低濃度近似(古典近似): \(E - \mu \gg kT\) の場合、\(e^{(E-\mu)/kT} \gg 1\) となるため、フェルミ・ディラック分布関数は \(f_{FD}(E) \approx e^{-(E-\mu)/kT}\) と近似できます。これはマクスウェル・ボルツマン分布の形であり、半導体における非縮退キャリア(低濃度、高温)の振る舞いを記述する際に用いられます。この領域を「古典領域」と呼びます。
スピン量子数が整数(例: 0, 1, 2, ...)の粒子はボーズ粒子と呼ばれ、パウリの排他律に従いません。すなわち、一つの量子状態に複数のボーズ粒子が入ることができます。フォノン(格子振動の量子)やフォトン(光の量子)はこのボーズ粒子の一種であり、半導体の熱物性や光学特性を記述する上で重要です。
ボーズ・アインシュタイン分布関数 \(f_{BE}(E)\) は以下の式で表されます。
ここで、\(E\), \(\mu\), \(k\), \(T\) はフェルミ・ディラック分布と同様です。
特徴: * \(E = \mu\) の場合: 分母が \(e^0 - 1 = 0\) となるため、分布関数は発散します。これは、多数のボーズ粒子が最も低いエネルギー状態(基底状態)に凝縮するボーズ・アインシュタイン凝縮の可能性を示唆します。 * \(E < \mu\) の場合: 分母が負の値となるため、分布関数が負の値を取ってしまいます。これは物理的にありえないため、ボーズ粒子のエネルギーは化学ポテンシャル \(\mu\) よりも小さくなることはないという制限が生じます(ただし、フォノンやフォトンのように粒子数が保存しない系では \(\mu=0\) となります)。 * 高温・低濃度近似(古典近似): \(E - \mu \gg kT\) の場合、\(e^{(E-\mu)/kT} \gg 1\) となるため、ボーズ・アインシュタイン分布関数も \(f_{BE}(E) \approx e^{-(E-\mu)/kT}\) と近似できます。これもマクスウェル・ボルツマン分布の形であり、古典領域でのボーズ粒子の振る舞いを記述します。
統計力学における物理量の平均値を求める一般的な手順は以下の通りです。
上記の手順において、特に多くの粒子が存在し、かつエネルギーが連続的に変化する系(例えば半導体のバンド内電子)を扱う場合、状態の和 \(\sum_i\) を直接計算することは困難です。このような場合、積分変数としてエネルギーを用いることが多く、その際に導入されるのが「状態密度関数」 \(D(E)\) です。状態密度 \(D(E)\) は、エネルギー \(E\) から \(E+dE\) の間に存在する量子状態の数 \(dN = D(E)dE\) を表します。
状態密度は、半導体のバンド構造(伝導帯や価電子帯)の形状、有効質量、および次元性(3次元バルク、2次元量子井戸、1次元量子細線、0次元量子ドットなど)に強く依存します。この概念は、キャリア濃度、電気伝導率、光学吸収係数など、半導体の様々な物性を計算する上で極めて重要です。
状態密度を表す記号は教科書や資料によって様々ですが、一般的には \(D(E)\) や \(N(E)\) が用いられます。フォノンの状態密度には \(g(\omega)\) や \(g(\nu)\) が用いられることもあり、エネルギー \(E\) と角振動数 \(\omega\) (\(E = \hbar\omega\)) または振動数 \(\nu\) (\(E = h\nu\)) との関係を理解しておくことが重要です。
ここでいう「正準 (canonical)」という言葉は、ギリシャ語の「canon (カノン)」に由来し、「規範」「原則」「標準」といった意味合いを持ちます。物理学や数学において「正準」という言葉が用いられる場合、それは「個別の原理や特定の相互作用に依存しない、普遍的で基本的な理論」を指すことが多いです。統計力学における正準理論も、この意味合いを持っています。
例えば、古典統計力学で分布関数を導出する際に、ニュートンの運動方程式や粒子間の具体的な相互作用(例えば、クーロン相互作用やファンデルワールス力)を陽に考慮する必要はありませんでした。正準理論は、このような微視的な詳細によらず、系が熱平衡状態にあるときに、その状態の確率分布が普遍的な形を取ることを示します。
この普遍性は、以下の思考実験によって直感的に理解することができます。 思考実験: \(N\) 人が総財産 \(M_{total}\) を分け合っています。それぞれが他の人と出会うたびに、ごく少額 \(\Delta M\) を交換し、これを非常に多数回繰り返します。最終的に、人々の財産分布はどのような形になるでしょうか?
直感的には、全員が平均値 \(M_{total}/N\) 付近の財産を持つように思えるかもしれません。しかし、シミュレーションを行うと、実際には、ごく一部の人が莫大な財産を持ち、多くの人がほとんど財産を持たないという、非常に偏った分布になることが示されます。この分布は、財産 \(M\) を持つ人の数が \(\exp(-M/M_0)\) の形(ボルツマン分布)で減少するという、指数関数的な分布になります。
この思考実験は、統計力学におけるエネルギーの分配と直接的に対応します。 統計力学の問題: 一定温度 \(T\) の環境下で、総エネルギー \(E_{total}\) を持つ \(N\) 個の粒子(電子など)が、互いに衝突してごく少額のエネルギー \(\Delta E\) を交換し続けた場合、最終的にどのようなエネルギー分布になるでしょうか?
答えは、やはり指数関数的な分布、すなわちボルツマン分布 \(f(E) \propto \exp(-E/kT)\) です。この結果は、粒子間の具体的な衝突メカニズムや相互作用の形によらず、全エネルギーが一定という条件の下でランダムにエネルギーが分配される限り、常に指数関数的な分布が得られるという、正準理論の普遍性を示しています。
正準集団は、粒子数 \(N\) と体積 \(V\) が一定で、かつ系が一定の温度 \(T\) の熱浴と接している状況を記述します。このとき、系と熱浴の間でエネルギーの交換が自由に行われるため、系の全エネルギーは変動し得ます。
量子統計力学における正準集団では、系が特定の固有状態 \(i\) (エネルギー \(E_i\) を持つ)を取る確率は、以下に示すボルツマン分布によって与えられます。
ここで、\(Z\) は分配関数(状態和)と呼ばれ、全確率を1に規格化するための定数です。
この分配関数 \(Z\) は、系の全ての熱力学的情報を内包しており、その微分などから様々な巨視的物理量を導出することができます。
大正準集団は、粒子数 \(N\) も一定ではなく、系と外部との間で粒子の交換が自由に行われる状況を記述します。このとき、温度 \(T\) と体積 \(V\) に加えて、化学ポテンシャル \(\mu\) が一定に保たれます。半導体のバンド間でのキャリアのやり取りや、不純物準位とバンド間の電子のやり取りなどを考える際に非常に有効な枠組みです。
大正準集団における、特定の粒子数 \(N_j\) と固有状態 \(i\) (エネルギー \(E_{N_j, i}\) を持つ)を取る確率 \(P_{N_j, i}\) は、以下の大正準分布によって与えられます。
ここで、\(\mathcal{Z}\) は大分配関数と呼ばれ、全確率を1に規格化するための定数です。
大分配関数が特に便利なのは、粒子数も変動しうる系において、フェルミ・ディラック分布関数やボーズ・アインシュタイン分布関数を簡潔に導出できる点にあります。
相互作用のない自由粒子系を考えます。この場合、系全体のエネルギーは、各量子状態 \(i\) を占める粒子の数 \(n_i\) とその状態のエネルギー \(E_i\) の和として表せます。 $$ E = \sum_i n_i E_i $$ また、全粒子数 \(N = \sum_i n_i\) です。 大分配関数 \(\mathcal{Z}\) は、全ての可能な粒子数 \(N\) と全ての可能な状態 \(i\) についての和を取る形で書かれます。粒子間に相互作用がない場合、各量子状態が独立であるため、大分配関数は各量子状態における分配関数の積として表すことができます。
$$ \mathcal{Z} = \prod_i \mathcal{Z}_i $$ ここで、\(\mathcal{Z}_i\) は \(i\) 番目の量子状態における大分配関数です。
フェルミ粒子の場合、一つの量子状態 \(i\) を占める粒子の数 \(n_i\) は \(0\) または \(1\) しか取れません。したがって、\(\mathcal{Z}_i\) は次のようになります。
粒子の平均占有数 \(\langle n_i \rangle\) は、大分配関数の対数から、以下の関係式によって導出できます。
この式を計算すると、フェルミ・ディラック分布関数が導かれます。
ボーズ粒子の場合、一つの量子状態 \(i\) を占める粒子の数 \(n_i\) は \(0, 1, 2, \dots, \infty\) の任意の整数値を取ることができます。したがって、\(\mathcal{Z}_i\) は次のようになります。
これは無限等比級数であり、公比が \(e^{-(E_i - \mu)/kT} < 1\) の場合(すなわち \(E_i > \mu\) の場合)に収束します。
同様に、粒子の平均占有数 \(\langle n_i \rangle\) を計算すると、ボーズ・アインシュタイン分布関数が導かれます。
このように、大正準集団の枠組みを用いることで、フェルミ・ディラック分布関数とボーズ・アインシュタイン分布関数が簡潔かつ統一的に導出できることが分かります。これは半導体中の電子やフォノンの統計を扱う上で非常に強力なツールとなります。
ここからは、実際に統計力学の理論を用いて、半導体材料の重要な物性の一つである「比熱」の温度依存性をどのように導き出すかを見ていきましょう。特に、ボーズ粒子であるフォノン(格子振動の量子)が関わる個体の比熱に焦点を当てます。
「理想ボーズ粒子系」とは、粒子間に相互作用がなく、かつ量子力学的な統計(ボーズ・アインシュタイン統計)に従う粒子の集まりを指します。個体の熱容量を考える際には、原子の格子振動を量子化した準粒子である「フォノン」を理想ボーズ粒子系として扱います。フォノンは、その生成・消滅が自由であるため、化学ポテンシャル \(\mu = 0\) となります。
フォノンのエネルギーは、その角振動数 \(\omega\) を用いて \(E = \hbar\omega\) と表されます。このエネルギーを持つフォノンの平均占有数(プランク分布)は、\(\mu=0\) を代入したボーズ・アインシュタイン分布関数で与えられます。
この式は、特定の振動数を持つフォノンモードが、熱平衡状態で平均していくつ存在するのかを示しています。
アインシュタインモデル(1907年)は、個体の比熱を説明するために提案された初期の量子論的モデルです。このモデルでは、固体中の各原子が互いに独立に振動する3次元調和振動子であると仮定します。さらに、全ての原子が同じ角振動数 \(\omega_E\) (アインシュタイン振動数)で振動すると考えます。これは、固体中のフォノンが単一のエネルギー \(\hbar\omega_E\) を持つと仮定することに相当します。
1つの原子が持つ3つの振動自由度(\(x, y, z\) 方向)あたりの平均エネルギー \(\langle E \rangle\) は、プランク分布に零点エネルギーを加えたものとして計算されます。 零点エネルギーとは、量子力学的な調和振動子において、基底状態でも常に存在するエネルギー \(\frac{1}{2}\hbar\omega\) のことです。
この平均エネルギーは、1つの原子の1自由度あたりの熱エネルギーであり、零点エネルギー部分は温度に依存しないため、比熱の計算には寄与しません。
1モルあたりの定積比熱 \(C_V\) は、1モルあたりの原子数 \(N_A\) と、各原子の3自由度を考慮し、それを温度で微分することで得られます。
この微分を実行すると、アインシュタインモデルによる定積モル比熱の式が得られます。
ここで、\(R = N_A k\) は気体定数、\(\Theta_E = \hbar\omega_E/k\) はアインシュタイン温度と呼ばれます。
温度 \(T\) がアインシュタイン温度 \(\Theta_E\) に比べて十分に高い場合(\(T \gg \Theta_E\))、すなわち \(\hbar\omega_E/kT \ll 1\) の場合、指数関数 \(e^{\Theta_E/T}\) をテーラー展開し、\(e^x \approx 1+x\) と近似することができます。
この結果は、高温極限において定積比熱が \(3R\) に収束するというデュロン・プティの法則(古典的な予測)と一致します。これは、アインシュタインモデルが高温での比熱の振る舞いを正しく説明できることを示しています。
温度 \(T\) がアインシュタイン温度 \(\Theta_E\) に比べて十分に低い場合(\(T \ll \Theta_E\))、すなわち \(\hbar\omega_E/kT \gg 1\) の場合、指数関数 \(e^{\Theta_E/T}\) は非常に大きくなります。
この式から、低温極限において比熱 \(C_V\) は指数関数的に \(0\) に漸近することが分かります。これは熱力学第三法則(\(T \to 0\) で \(C_V \to 0\))を満たすものの、実験的には多くの固体において低温での比熱が温度の3乗に比例して \(0\) に漸近する(\(C_V \propto T^3\))というデバイの \(T^3\) 則と異なる結果を示します。
アインシュタインモデルのこの限界は、全ての原子が同じ振動数で振動するという単純な仮定に起因しています。実際には、固体中の格子振動は幅広い振動数分布(分散関係)を持ち、特に低温では長い波長の振動モードが重要になります。この実験との不一致を解決するために提案されたのが、次回の講義で扱うデバイモデルです。
本日説明した内容と資料を参考に、以下の課題に取り組んでください。
課題1: デュロン・プティの法則など、古典統計力学が個体の比熱に適用できないのはどのような場合であるか、3行程度で説明してください。
課題2: アインシュタインモデルについて、低温および高温極限における定積モル比熱の振る舞いを、数式を用いて示してください。