皆さん、こんにちは。本日は第6回の講義です。前回までは正準集団理論(Canonical Ensemble)について学び、それが量子統計力学にも適用可能であることを確認しました。また、古典統計力学と量子統計力学における等確率の原理の違いについても解説しましたね。
今日の講義では、まずこの正準集団理論を、粒子数が変化する系に拡張した大正準集団理論(Grand Canonical Ensemble)について深く掘り下げます。その後、いよいよ量子統計力学へと移り、その中心となるフェルミ・ディラック分布関数とボーズ・アインシュタイン分布関数について詳しく説明していきます。
今日の講義内容を踏まえ、以下の課題に取り組んでください。
提出期限: 本日中
この課題は非常に重要です。昨年度のテストでは、多くの学生が分布関数のグラフを正確に描けなかったため、皆さんがこれらの分布関数の形とその特徴を理解してくれることを強く願っています。他の細かい理屈を忘れても、これら3つの関数の形とその特徴だけは必ず理解しておいてください。
前回の課題は「古典統計力学と量子統計力学における等確率の原理の違いについて簡単に説明してください」というものでした。多くの皆さんがほぼ正答を提出してくれました。
古典統計力学における等確率の原理は、以下の条件を満たす位相空間内の状態が等しい確率で出現するというものです。
一方、量子統計力学においては、話はもっと単純になります。
皆さんの回答の中には「全ての固有値が等確率で出現する」というものもありましたが、これは厳密には間違いです。なぜなら、異なる固有状態であっても、同じ固有値(固有エネルギー)を持つ、いわゆる縮退(degeneracy)した状態が存在するからです。したがって、固有値が同じ状態が等確率で出現することと、固有状態が等確率で出現することは異なります。
せっかくなので、ここで材料系の量子力学の範囲ではあまり深掘りしないかもしれませんが、量子力学の基本的な概念についてまとめておきましょう。
前回、シュレディンガー方程式を導出する際に、古典的なハミルトニアンを量子論的な交換関係を満たすように物理量を置き換えれば良い、という話をしました。これはハミルトニアンに限らず、より一般的な物理量全てについて成立する考え方です。
私たちは普段、身の回りの物理量は全て分割できる実数スカラー量だと考えていますが、量子力学においてはそうではありません。物理量は全て何らかの演算子である、というところから量子力学は出発します。
さらに、古典力学と量子力学を根本的に区別する条件として、共役な物理量 A と B は交換関係 AB − BA がゼロにならずに iℏ 倍になる、という関係が挙げられます。
[A, B] = AB − BA = iℏ
これは、プランク定数 ℏ がゼロとみなせる極限においては、量子力学が古典力学に漸近する(あるいは等しくなる)ことを意味します。
典型的な例としては、座標 x と運動量 px の間の交換関係があります。
[x, px] = xpx − pxx = iℏ
運動量演算子を $p_x = -i\hbar \frac{\partial}{\partial x}$ と定義することで、この交換関係が満たされます。
固有状態や固有値を持つのはハミルトニアンだけではありません。あらゆる物理量が固有状態を取り得ます。
物理量 P が固有値方程式 Pψ = pψ を満たすとき、
ここで「固有関数」と「固有状態」という2通りの呼び方をしていますが、シュレディンガー方程式の範囲では関数として扱われますが、量子力学の方程式は行列力学であっても良いため、この固有状態はベクトル(固有ベクトル)である場合もあります。したがって、「固有状態」という表現はより一般化された、抽象的な概念を指します。
また、物理量 P が固有値方程式を満たし、その固有値 p が実数であることは非常に重要です。固有値 p が実数である場合、その固有状態 ψ を観測すると、必ずその固有値 p が測定されます。このような物理量を観測可能量(Observable)と呼びます。オブザーバブルであるためには、その演算子がエルミート演算子である必要がありますが、ここでは詳細な説明は割愛します。
観測可能量の特殊な例として、物理量 P がハミルトニアン H(全エネルギー)である場合が挙げられます。このとき、系のハミルトニアンは系の状態を規定します。ハミルトニアン H が時間に依存しない場合(つまりエネルギーが保存される場合)、定常状態のシュレディンガー方程式 Hψ = Eψ を解けば良いことになります。
この場合の ψ を固有関数または固有状態、そして E を固有エネルギーと呼びます。固有エネルギーは同じ値を取ることがあり(縮退)、異なる固有状態が同じ固有エネルギーを持つこともあります。しかし、固有状態そのものは全て異なると区別されます。
では、異なる固有状態はどのように区別し、指定できるのでしょうか?これには量子数が用いられます。量子数には「良い量子数」と「良くない量子数」がありますが、「良い量子数」とは、固有値方程式を解いて得られる固有状態を一意に規定できる量子数のことです。
例えば:
このように、量子力学では量子数を指定することで一つの量子状態が一意に決まります。
後で詳しく説明しますが、電子のようなフェルミ粒子は、同じ量子数の組の状態を0個か1個しか占めることができません。これに対し、光子(フォトン)やフォノンのようなボーズ粒子は、いくつの粒子でも同じ量子数の組の状態を取ることができます。これが量子統計力学の基本的な原理です。多電子系になるとさらに複雑になりますが、基本的な考え方は変わりません。
大正準集団理論とは、粒子数 N とエネルギー E がともに変動し得る系を扱う統計力学の枠組みです。前回学習した正準集団ではエネルギー E は変動し得るものの、粒子数 N は一定でした。さらにその前の小正準集団では、エネルギー E と粒子数 N の両方が一定でした。
大正準集団では、対象となる系(これを「開いた系」と呼びます)が、外部の熱浴(温度 T 一定)と粒子貯蔵庫(化学ポテンシャル μ 一定)と粒子とエネルギーを交換できる状況を想定します。これにより、系のエネルギーと粒子数が変動可能となります。
大正準集団を理解するために、M個の同一の小さな系(大正準集団の集まり)を考え、これら全体を一つの大きな小正準集団とみなします。この大きな系の中では、全体の粒子数 N0 と全体のエネルギー E0 は一定です。
各小さな系は様々な状態を取り得ます。一つの状態は、その系に含まれる粒子数 N と、そのときのエネルギー EN, I(粒子数 N のときの I 番目の量子状態)で規定されます。 ここで、 * N はその系の粒子数 * I は粒子数 N を持つ系の量子状態のインデックス * EN, I は粒子数 N の系が状態 I にあるときのエネルギー
とします。M個の系の中で、粒子数 N で状態 I にある系の数を MN, I とします。
このとき、M個の系を各状態 N, I に分配する配置数 W は、以下の式で表されます。
$$ W = \frac{M!}{\prod_{N,I} M_{N,I}!} $$
ここで、以下の束縛条件が課されます。
これらの条件の下で、ln W を最大化する問題として解きます。これは、スターリングの近似とラグランジュの未定乗数法を用いることで解決できます。
ln W を最大化すると、各状態 N, I を取る系の数 MN, I の期待値は以下のようになります。
MN, I ∝ exp (−αN − βEN, I)
ここで、α, β はラグランジュの未定乗数です。
このとき、大正準集団における、粒子数 N かつ状態 I である確率 PN, I は、以下の大正準分布関数で与えられます。
$$ P_{N,I} = \frac{1}{Z_G} \exp(-\alpha N - \beta E_{N,I}) $$
ここで ZG は大分配関数(Grand Partition Function)と呼ばれ、全ての可能な状態について和を取ることで正規化定数として定義されます。
ZG = ∑N, Iexp (−αN − βEN, I)
この大分配関数は、正準集団における分配関数に比べて、粒子数 N に関する和が追加されています。
ラグランジュの未定乗数 α と β の物理的意味を明らかにするため、ギブス・デュエムの式 (Gibbs-Duhem equation) などの熱力学関係と比較します。
正準集団と同様に、$\beta = \frac{1}{kT}$ (k はボルツマン定数、T は絶対温度)であることが導かれます。
そして、粒子数の束縛条件から導入された α は、化学ポテンシャル μ と以下の関係を持ちます。
$$ \alpha = -\frac{\mu}{kT} $$
したがって、大正準分布関数は、化学ポテンシャル μ を用いて次のように書き換えられます。
$$ P_{N,I} = \frac{1}{Z_G} \exp\left(\frac{\mu N - E_{N,I}}{kT}\right) $$
また、大分配関数 ZG は圧力 P と体積 V の積 PV と関係づけられます。
PV = kTln ZG
この関係は、正準集団におけるヘルムホルツの自由エネルギー F = −kTln Z と同様に、大分配関数が系の熱力学的な情報を全て含んでいることを示しています。
化学ポテンシャル μ は、系に粒子を1つ追加したときに系のギブスの自由エネルギーがどれだけ変化するかを示す量として定義されます。
$$ \mu = \left(\frac{\partial G}{\partial N}\right)_{T,P} $$
化学平衡状態では、系全体で各粒子の化学ポテンシャルは場所によらず一定となります。また、異なる相(固体、液体、気体)間でも、その粒子が共有されるのであれば化学ポテンシャルは等しくなります。これは、物質の相転移や化学反応の駆動力となる重要な概念です。
(※講義では化学反応論における活量やフガシティとの関連、第一原理計算による化学ポテンシャルの計算例に言及がありましたが、ここでは半導体工学の主旨に合わせ、化学ポテンシャルの物理的意味と統計力学における役割に焦点を当て、簡潔に留めます。)
古典統計力学では、粒子は区別可能であると仮定していました。そのため、N個の粒子を異なる状態に配置する際に、N! の重複が生じるため、これを補正するために修正ボルツマン分布では分配関数を N! で割っていました。
しかし、量子力学では、同一の粒子(例えば全ての電子)は互いに区別できません。これは、粒子の交換によって系の物理的な状態が変化しない、という粒子の区別不能性の原理に基づいています。この区別不能性こそが、量子統計力学を古典統計力学と決定的に分ける特徴です。
量子力学において、2つの粒子を入れ替えたときに、系の全波動関数がどのように振る舞うかによって、粒子は2種類に大別されます。
この性質は、粒子の全波動関数 Ψ(r1, r2) を考えることで理解できます。粒子1と粒子2を入れ替える操作を考えると、
フェルミ粒子の場合、もし2つの粒子(例えば粒子1と粒子2)が同じ量子状態(状態 A)を占めていると仮定すると、全波動関数 Ψ(r1, r2) は、1粒子波動関数 ψA(r1) と ψA(r2) を用いて表すことができます。
2つの粒子が異なる状態 A と B を占める場合(フェルミ粒子): 全波動関数は反対称性から、以下の形式で表されます。
$$ \Psi(r_1, r_2) = \frac{1}{\sqrt{2}} [\psi_A(r_1)\psi_B(r_2) - \psi_A(r_2)\psi_B(r_1)] $$
ここで、もし粒子1と粒子2が同じ量子状態 A を占めると仮定すると、B を A に置き換えることになります。
$$ \Psi(r_1, r_2) = \frac{1}{\sqrt{2}} [\psi_A(r_1)\psi_A(r_2) - \psi_A(r_2)\psi_A(r_1)] = 0 $$
波動関数がゼロになるということは、その状態は存在し得ないことを意味します。このことから、フェルミ粒子は、2つの粒子が同じ量子状態を占めることはできない、というパウリの排他律が導かれます。
ここからは、量子統計力学における分布関数を導出します。基本的な制約条件は、大正準集団と同じく全粒子数 N は一定、全エネルギー E は一定です。ただし、量子力学では各粒子の相互作用がない(電子相関がない)場合を考え、系の全エネルギーは各量子状態のエネルギーの和で表されると仮定します。
各量子状態の固有エネルギーは ER とし、その状態を占める粒子数を NR とします。 全粒子数 N = ∑RNR 全エネルギー E = ∑RNRER
さらに、等確率の原理を適用するにあたり、量子状態を「グループ」に分けます。 * i 番目のグループはエネルギー Ei を持ちます。 * このグループに含まれる固有状態の数を縮退度または準位数と呼び、Gi で表します。 * このグループの Gi 個の固有状態を占める粒子数を Ni とします。
このとき、配置数 W の数え方が、フェルミ粒子とボーズ粒子で異なります。
フェルミ粒子の場合、一つの量子状態を占めることができるのは最大1個の粒子までです。したがって、グループ i の Gi 個の固有状態の中から、Ni 個の粒子を配置する組み合わせの数を考えればよいことになります。
この配置数 Wi は、Gi 個の状態から Ni 個を選ぶ組み合わせの数として計算されます。
$$ W_i = \binom{G_i}{N_i} = \frac{G_i!}{N_i!(G_i - N_i)!} $$
全てのグループについての全配置数 W は、各グループの配置数の積となります。
$$ W = \prod_i W_i = \prod_i \frac{G_i!}{N_i!(G_i - N_i)!} $$
この ln W を、スターリングの近似とラグランジュの未定乗数法を用いて最大化することで、フェルミ粒子が各エネルギー状態 Ei を占める確率、すなわちフェルミ・ディラック分布関数 fFD(Ei) が導出されます。
$$ f_{FD}(E_i) = \frac{N_i}{G_i} = \frac{1}{\exp(\alpha + \beta E_i) + 1} $$
ボーズ粒子の場合、一つの量子状態を複数の粒子が占めることができます。グループ i の Gi 個の固有状態に、Ni 個の粒子を分配する配置数を考えます。
この配置数 Wi は、重複組み合わせの考え方を用いると簡単に計算できます。Ni 個の粒子と、Gi − 1 個の仕切りを並べる順列の数を考えることで、以下の式が得られます。
$$ W_i = \binom{N_i + G_i - 1}{N_i} = \frac{(N_i + G_i - 1)!}{N_i!(G_i - 1)!} $$
全てのグループについての全配置数 W は、各グループの配置数の積となります。
$$ W = \prod_i W_i = \prod_i \frac{(N_i + G_i - 1)!}{N_i!(G_i - 1)!} $$
この ln W を最大化することで、ボーズ粒子が各エネルギー状態 Ei を占める確率、すなわちボーズ・アインシュタイン分布関数 fBE(Ei) が導出されます。
$$ f_{BE}(E_i) = \frac{N_i}{G_i} = \frac{1}{\exp(\alpha + \beta E_i) - 1} $$
ボーズ粒子の中でも、光子(フォトン)やフォノンのように、粒子数そのものが保存されない(自由に増減する)粒子が存在します。このような系では、全粒子数 N が一定という制約条件がなくなります。
この制約条件(∑NR = N)に対応するラグランジュの未定乗数が α であったため、粒子数保存の制約がなくなると α = 0 となります。
この場合のボーズ・アインシュタイン分布関数は、プランク分布関数 fP(Ei) と呼ばれます。
$$ f_P(E_i) = \frac{1}{\exp(\beta E_i) - 1} $$
プランク分布は、黒体放射や格子振動(フォノン)の統計を記述する上で非常に重要です。
フェルミ・ディラック分布関数やボーズ・アインシュタイン分布関数に現れるラグランジュ未定乗数 α と β の物理的意味は、大正準集団の場合と同じく、熱力学との比較によって明らかになります。
同様に、$\beta = \frac{1}{kT}$ であり、$\alpha = -\frac{\mu}{kT}$ です。
したがって、これまでの分布関数は、一般的に以下の形で書くことができます。
これで、量子統計力学における3種類の主要な分布関数が揃いました。
これらの量子統計分布関数は、ある条件下でマックスウェル・ボルツマン分布関数(古典統計)に漸近します。
具体的には、粒子のエネルギー Ei が化学ポテンシャル μ よりも十分に高く、Ei − μ ≫ kT という条件が満たされる場合、指数関数の項 $\exp\left(\frac{E_i - \mu}{kT}\right)$ は非常に大きな値となり、分母の ±1 は無視できるようになります。
$$ \exp\left(\frac{E_i - \mu}{kT}\right) \pm 1 \approx \exp\left(\frac{E_i - \mu}{kT}\right) $$
この近似により、フェルミ・ディラック分布関数とボーズ・アインシュタイン分布関数は、どちらも以下の形に近似されます。
$$ f_{MB}(E_i) \approx \exp\left(-\frac{E_i - \mu}{kT}\right) $$
これは、マックスウェル・ボルツマン分布関数の形にほかなりません。 つまり、マックスウェル・ボルツマン分布は、量子統計分布関数において、粒子のエネルギーが熱エネルギー kT に比べて十分に高い場合の近似式(または希薄系での近似)として理解できるのです。
本日の講義では、大正準集団理論を学び、そこで化学ポテンシャルが導入される物理的背景を理解しました。その後、量子統計力学の基本原理である粒子の区別不能性と交換対称性、そしてボーズ粒子とフェルミ粒子の違いについて解説しました。
そして、これらの原理に基づき、フェルミ・ディラック分布関数、ボーズ・アインシュタイン分布関数、およびその特殊なケースであるプランク分布関数を導出しました。最後に、古典統計力学のマックスウェル・ボルツマン分布関数が、量子統計分布関数の高温・希薄系における近似として得られることを示しました。
今回の講義内容は、今後の半導体デバイスにおける電子や正孔の振る舞いを理解する上で不可欠な基礎となります。特に、フェルミ・ディラック分布関数は半導体中の電子のエネルギー分布を記述する上で非常に重要です。
次回の講義では、これらの量子統計分布関数が実際にどのように半導体物性に応用されるか、より具体的な例を交えて解説していく予定です。
今日の課題を忘れずに提出してください。特に分布関数のグラフは、概念理解の要です。
皆さん、本日もお疲れ様でした。